江戸時代、赤穂藩主の居城で、別名・加里屋城、大鷹城。
「赤穂」と聞くと、思い浮かべるのはあの有名な「赤穂浪士」ですが、
お恥ずかしい話、無知な私はどんな事件か詳しくは知らなかったのです。
城巡り100を目指して向かった赤穂城。
この機会に、赤穂城だけでなく周辺にある赤穂義士ゆかりの地も訪ねてきました。
赤穂事件を完全に知ろうと意気込んで!!!
城に入る前に気分が上がった一番のフォトスポット。
駐車場は3か所ぐらいあるみたいですが、ここは車を置いていいのかどうか分からないスペースでした。
城の入り口までは少し距離があります。
大石神社の横の駐車場に置きました。
城にも近いし、神社にも行けます。
『本丸門』
赤穂城の本丸門は櫓門と高麗門による枡形門で、1996年に復元されました。
長くて美しいお堀と石垣です。
浅野長直によって慶安元年から13年の歳月をかけて築かれた赤穂城は、近世城郭史上非常に珍しい変形輪郭四季の海岸平城だそうです。
本丸庭園と二の丸庭園は名勝指定されています。
広大な庭園はきれいに整備されていました。
満開の木蓮。
花弁はまさに純白。
花言葉は「自然への愛」「崇高」・・・ぴったりですね。
『大石神社』
大正元年(1912年)、大石内蔵助良男はじめ四十七義士と萱野三平を主祭神として創建されました。
四十七義士の石像群が並んでいます。
四十七体もあると、圧巻です。
「春の義士祭」という行事があるそうですが、今年は新型コロナの影響で中止となっていました。
この地の方たちにとっては、大切なイベントでしょうに、残念ですね。
「ご利益ありそう~。」となでに走ったら、主人に「今はやめた方がいいよ。」と言われて手が止まってしまいました。
憎きは新型コロナ。
感染予防のためにできることはしないと。
細心の注意を払って出かけているので、我慢しました。
夫婦円満じゃなくなったらどうしょう(ーー゛)
今は何とかもちこたえています・・・。(コロナの状況みたい)
大石内蔵助の家紋「右二つ巴」
こんな家紋があるなんて知りませんでした。
かっこいいですね。
大石さんという名字の方はこの家紋なんでしょうか。
赤穂藩主だった浅野家の家紋「違い鷹の羽」
浅野さんはこの家紋?
りっぱな本殿でした。
つづいて、市内にある赤穂義士ゆかりの地を巡りました。
『息継ぎ井戸』
義士のうちの二人が早かごで主君刃傷の凶報をもって江戸より駆けつけた際、この井戸で一息ついて城内の大石内蔵助邸へ入ったと言われています。
『義士あんどん』
9時~20時の毎正時、太鼓の音とともに、「松の廊下・早かご・かちどき」の3場面を再現しています。
『花岳寺』
浅野長直によって建立され、赤穂事件後は歴代藩主の菩堤寺となっています。
浅野家と義士に関する貴重な資料を展示する宝物館、義士木像堂、義士墓所があります。
時間の都合上、覗いて写真撮って帰りました。
『大石名残の松』
大石内蔵助が船で赤穂を離れる際に見納めたとの逸話にちなんで、御崎の海岸遊歩道に植えられている「大石名残の松」
残念ながら、深刻な松枯れに陥っているそう。
元禄の時代にタイムスリップできる趣きのある赤穂市。
他にもたくさん見所がありました。(別記事で)
残念ながら一泊しかしなかったので見残したところもあります。
いつかまたゆっくり訪れたいですね。
春の義士祭も見てみたい。