大河ドラマの『麒麟がくる』が始まって4か月以上がたちました。
大河ドラマをこんなに夢中になって観るのは初めてです。
城巡りを始めて戦国時代に興味を持ったからでしょうか。
謎多き武将、明智光秀の足跡をたどるドラマだからでしょうか。
理由はさておき、とにかくおもしろい!
全てのセリフに意味があるように思えて、一言一句聞き逃さないように観ているので、
息が苦しくなるほどです。
それにしても、ナイスキャストだと思います。
改めて、俳優さんのすごさに感動しています。
ドラマやアニメ、映画の舞台になったところに行くのが好きなので、行ける範囲で追っかけをしていこうと思っています。
現在は見るべき遺構はほとんど残っておらず、この碑がひっそりと建っているだけです。
少し離れた所に坂本城跡公園があります。
光秀が、信長の命を受けて築城した坂本城は、大天守と小天守を持ち、非常に豪壮な城であったと言われています。
比叡山焼き討ちの後に城を建て、11年後には本能寺の変を起こした光秀。
この地でどんな思いをもって暮らしていたのでしょう。
坂本城は、安土城につぐ天下第二の城と評されるほどのものだったそう。
現存していたら、そうとう見応えがあったでしょう。
公園となっている広場には、親子連れが楽しそうに遊び、琵琶湖を望む鳥居の周りでは何人かの釣り人がいました。
坂本城跡の碑が建っているところから公園に通じる道に咲いていた薔薇。
今は平和な住宅や公園になっている場所が、戦国時代には城や戦があったなんて不思議な感覚です。
続いて、西教寺へ。
広い庭のある素敵なお寺です。
残念ながら、コロナウイルス感染予防のため、入れませんでしたので、去年行った時の別記事で見てください。(西教寺は少ししかありませんが)
小堀遠州の庭園もある景色のきれいな歴史あるお寺です。
光秀を感じながら、ゆっくり散策してみませんか。
いきなり愛知県ですが・・・。
住んでいるところから近い場所にも、戦国時代の跡地があるので回ってきました。
さすが尾張。
愛知県一宮市千秋町にあります。
浮野合戦場跡。
織田信長が23歳のときに織田伊勢守家を破り、尾張統一に前進した合戦。
この合戦で、信長勢は、900(1250とも)もの敵の首を討ち取ったと言われています。
信長勢の方も何人も亡くなっているはず。
この時代の命の重さってどんなものだったんだろうと思ってしまいます。
浮野の戦いの年表とパンフレットがありました。
保存会の方たちが整備されているみたいです。
歴史上、忘れてはいけない合戦です。
信賢は、籠城戦の末に信長に敗れました。
親戚どうしの戦い。
父や兄弟にも手をかける。
戦国時代って辛いなあ・・・。
岩倉城の周りは、坂本城と同じく住宅街。
道路を挟んで小さな休憩所がありました。
14歳から戦の連続だった信長。
こういう場所に行って戦国時代のことを知る度に考えてしまいます。
いったい戦でどれだけの人の命が失われたか。
戦に向かうとき、どんな気持ちだったんだろう。
残していく家族への想い。
残された家族の悲しさ。
今の世に生まれ、戦争のない国に生まれたことがどんなに幸せなことかを改めて感じます。
今年に入ってから、コロナという見えない敵との闘いが始まり恐怖です。
でも、たくさんの人が全力で闘ってくれています。
皆が自分のできる範囲で協力すれば、また平和な時代は必ずやってくると信じています。
最後まで読んでくださってありがとうございました。