松江城天守は全国に現存する12天守のひとつ。
天守の平面規模では2番目。
高さでは3番目の規模を誇る大きな天守です。
平成24年5月に再発見された2枚の祈祷札から、築城が慶長16(1611)年であることが確定しました。
築城当時の資料によって建築年代が確認できる極めて希少な例となった城です。
テレビでも紹介されていましたね。
2度目の松江城。
再び目の前にして、前見たときよりも大きな感動がありました。
城は何度見ても感動し、「オオ~!!」となります。
豊臣秀吉と徳川家康の二人の天下人に仕えた堀尾吉晴は、尾張出身。
「岩倉城の戦い」が初陣で、一番首を取る功名を立てた人物です。
前に行った時には尾張出身とは知りませんでした。
それも、愛知県大口町。
偶然入ったお蕎麦屋さんで、ご主人から「どこから来たの?」と話しかけられて、
堀尾吉晴が私たちと同じ愛知県出身だと知ったのです。
城から近いお蕎麦屋さんですが、残念ながらお店の名前を覚えてなくて・・・。
美味しいおそばでした♡
吉晴は後々、
孫の忠晴を助け松江城と城下町を建設し、現在の松江市の礎を築いたそうです。
駐車場は目の前。
車を降りるとすぐ城の入り口になります。
天守だけでなく石垣や城跡も好きですが、最近は天守に続くスタート地点となる階段も好きで、この地点に立つと気分が高揚してきます。
その時代に行ける入り口♪
途中の景色を楽しみながら天守に向かいます。
整備された城、綺麗ですね。
自然なままの城跡もどちらにも魅力を感じます。
「 いーしーがーきー!」
石垣が見えてくると、興奮状態になる私。
ただ、積み方の名前を覚える気は出てきません。
いいものはいい!
感動! だけでいい!
詩の分析が嫌いというのと同じかもしれません。
また、自分の脳のキャパを考えたら無理だと判断。
まあ、とことん極めたいものは、
その気があるものだけでいいですよね。
人生も(*^_^*)
歴史の重みを感じながら進みます。
現代から慶長、寛永~明治時代へ。
約420年前に始まった松江城の歴史。
現れるもの一つひとつ通りながら、はるか昔、日本を感じる旅へ。
松江城は、城郭建築最盛である慶長期を代表する天守として、平成27年に国宝に指定されました。
前行った時には、来城者がたくさんいる中、城内を案内されていた方が、「城内に井戸があるのは松江城だけ。」という説明をしてくださったのが記憶に残っていました。
立派な鯱です。
城はどこも急階段。
この階段を上れるように、日頃も足腰を鍛えなくては!
戦国時代を思い起こさせる展示物の数々。
レプリカでなく、本物みたいです。
あちこちに補強がしてあります。
耐震も。
400年以上の時を経た現存の天守。
圧巻の建築です。
松江城天守は、外観は4重、
内部構造は5階、地下一階の構造。
最上階の5階は、壁のない360度の展望が広がる望楼です。
遠く、松江市が見渡せます。
城の庭と現代の建物のコラボ。
望楼から見渡す景色には、心が解放されるような気がします。
しばし無の時間・・・。
快晴ならば、山々がもっとはっきり見える違う景色が楽しめることと思います。
今年はずっと雨・・・。
自粛生活にはいいけれど、そろそろ綺麗な青空が恋しいですね。
一本一本の柱には、補強のための留め金があり、何年もの時代を越えてきたことが分かりますね。
内部の随所に狭間や石落としなどの防御装置が配され、こんな塩蔵も設けられています。
先ほどの井戸と同じく、実戦を強く意識して築かれています。
外壁の多くは黒色の下見板張り。
古くて美しい石垣。
明治初頭、全国の多くの城が取り壊される中、松江城の天守は旧松江藩士高城権八らの奔走によって取り壊しを免れ、以降も市民の手によって守られ今日に至っているそうです。
こんな立派な城が残っていてよかった!
国宝はやっぱり国宝!!
日本の宝だと思います。
城巡りを始めてまもなく、
「城って戦いの場所。多くの命が失われた場所なんだよね。」と、少し不安な気持ちにかられたこともありました。
幽霊とか怖がる私ではありませんが、いくつも周ったら、もしかして一人ぐらい私を気に入ってくっついてくるお侍さんがいるんじゃないか・・・。
なーんて思いまして。
すると、「城は風水とか鬼門とか考えて建てられているから、パワースポットでもあるんだよ。」と歴女の友達から不安を吹き飛ばす返事が返ってきました。
パワースポット!
魅力的なワードです♡
単純なおばさんは、城でパワーをもらって今後も城巡りを続けようと思っています。
日本全国、どの城もそれぞれに特徴があっておもしろいですよ。
最後まで読んでいただきありがとうございました。