万治の石仏は、長野県下諏訪町の諏訪大社下社春宮の隣に鎮座しています。
あの有名な岡本太郎氏が絶賛したと言われている石仏です。
初めてのところへの旅はワクワクするけれど、
「もう一度行きたい。」と思っていたところへの旅もいいものです。
今回は約40年前に訪れた万治の石仏に参拝に行きました。
正式名は、信濃國一之宮諏訪大社下社春宮。
生命の根源・生活の源を守る神として崇められています。
立派な御影石の鳥居ですね。


境内に入ると、緑がまぶしい多くの大木たち。
神社や寺院のご神木や多くの木からはパワーをもらえるような気がします。
こちらの神社には、樹齢800年のご神木の杉の木がありました。
写真は撮り忘れ。ごめんなさい🙇🙇🙇
周辺には散策コースがあるようです。
「ようこそ、春宮神社へ。」と言っているように見えました。
手を入れたら、パクっと閉じるかも。
いやいや、真実の口じゃないって。
朱塗りの浮島橋と緑の木々はベストマッチ。
すがすがしい空気を吸いながら、万治の石仏に向かいます。
途中にある 浮島社。
力の強い神様がいらっしゃるパワースポットだそうです。
こちらのパワー、皆さんにエイっ!!!
送ったよ~。
親切な案内板のおかげで、迷わずに目的地へ。
川に沿っての小道があり、水と風を感じながら歩きます。
という伝説があるそうな。
左前方にもう石仏は見えています。
「石仏さ~ん。」と、走って行きたかったけれど、
この看板に「待った!」をかけられました。
お参りの仕方を頭の中に入れまして・・・。
念願の再会の時💕
石仏さん、お久しぶり~。
お会いしたのは、旅福が20代前半の夏でした。
お懐かしゅうございます。
その時は、ピッチピチのおなごでございました。
期待に応えて、後ほど登場いたします。
え? 期待してないですって?
でも、出るからね~。
万治の石仏は、下諏訪町の指定有形文化財に指定されています。
高さ2、6メートル。幅3、8メートル。奥行き3、7メートルの安山岩を胴体として、高さ約65センチの仏頭を載せた石仏さんです。
石仏さんは、40年前と変わらぬお姿でありましたが、
周りの景色は全然違っていました。
40年前に一緒に行った友人から、
「1年ほど前に行ったら綺麗に整備されていたよ。」と聞いていたので、
どんなかなと思っていましたが、確かに。
景色はすっかり変わったけれど、
石仏さんは、そのまんま。
私の記憶の中にいる石仏さんと全く同じだったことには感動しました。
あれから40年という月日が流れたんですねえ。
感慨深い・・・。
変わらぬ姿の石仏さんに比べ、旅福は?
ハイハイ、ババアになりましたよ(';')
気を取り直しまして、
万治の石仏は、江戸時代前期の1660年万治3年に造られ、
360年もここにいらっしゃるのです。
1974年に御柱祭を見学に来て石仏と対面した現代美術家の岡本太郎氏や、
作家の新田次郎氏が絶賛。
一躍有名になったそうです。
岡本太郎さん揮ごうの碑です。
あのびっくりされたようなお顔が目に浮かびます。
懐かしい石仏さんにバイバイし、帰路につきました。
もうここに来ることはないかな?
最近、旅に出るとそう思うようになりました。
そんな思いを抱くようになったのは、友が突然旅立った時からでしょうか。
「定年になったら ゴルフ三昧したい。」と言っていたそうですが、
その夢を叶えることなく遠くにいってしまいました。
「男女の友情は成り立つ」ことを教えてくれた高校時代からの友。
もっともっと一緒に楽しい時間を過ごしたかったな。
彼がいなくなったころから、
こんな何気ない小川が流れる景色も愛おしく思うようになりました。
人生は限られています。
いつ何が起きるか分からない。
だからこそ、
見たもの、聞いたこと、感じたこと全てを心に留めておきたい。
そんな気持ちを持って、これからも旅します。
ジャーン!
40年前の万治の石仏と若き日の旅福です。
最後はシリアスに締めくくろうかと思いましたが、
旅福らしく、こんなんで終わります。
ガクッとさせてごめんなさーい。
時間と心の余裕が少しできましたので、
準備してあった記事を出させていただきます。
仰々しくお休み宣言したのにごめんなさい。
最後まで読んでくださいましてありがとうございました。