旅の先には福がある

感動、癒し、出会いを求めて

『犀ヶ崖(さいががけ)古戦場』「三方ヶ原の戦い」で、そんな奇襲があったんだ((+_+))

f:id:tabininjin:20221018005947j:image

犀ヶ崖は、浜松城の北側およそ1キロメートルにある断崖。三方ヶ原の戦いの時に、劣勢だった徳川軍が、反撃に転じるために武田軍を奇襲した場所です。

 

まずは、資料館で予習をしましょう。

f:id:tabininjin:20221018005939j:image

大きな資料館ではないですが、「ほおほお。」と思う展示物がいっぱいございます。

 

f:id:tabininjin:20221018005943j:image

f:id:tabininjin:20221018005947j:image

f:id:tabininjin:20221018005950j:image

「三方ヶ原合戦」、「遠州大念仏」についてのビデオ、ジオラマや展示物が用意されています。

優しいガイドさんが説明してくれますよ。

 

f:id:tabininjin:20221018005955j:image

「遠州大念仏」に使われる太鼓なども展示されていました。

犀ヶ崖の戦死者の「たたり」とおそれられた出来事が起き、

七日七夜、鉦(しょう)と太鼓を鳴らして念仏を唱えたところ、

「たたり」は静まったそうです。

この念仏が「遠州大念仏」の始まりと言われています。

 

さあ、犀ヶ崖を見にまいりましょうか。

f:id:tabininjin:20221018005959j:image

あら、ねずみ小僧さんの供養塔があるではありませんか。

ねずみ小僧さんて、架空の人物だと思ってました。

調べてみたら、治郎吉さんは寛政9年(1797年)~天保3年(1832)年までの間、実在なさっ

てました。

東京墨田区の「回向院」というお寺にお墓があるそうです。

勝負運・金運アップのパワースポットですって。。

本職は鳶職だったとか。

な~るほど!!!

 

f:id:tabininjin:20221018010011j:image

字が薄くなって読みづらくなっています。

誰? 何?

 

ちゃんと説明がありました。

本多忠真(ほんだ ただざね)は、戦国時代の三河の武将。(愛知県だ~)

徳川四天王と言われた本多忠勝の叔父さんです。

三方ヶ原の戦いで大敗した徳川軍の撤退に際し、殿(しんがり)隊を買って出て、

この地で討ち死にしています。

 

f:id:tabininjin:20221018010015j:image

家康公のお手植えの楠がありました。

 

f:id:tabininjin:20221018010018j:image

幹は力強く、どっしりと。

天に向かってまっすぐ伸び、堂々と。

立派なクスノキでございました。

 

f:id:tabininjin:20221018010022j:image

町の中の道路沿いにありました。

知らずに来たら、気がつかないかもしれません。

 

f:id:tabininjin:20221018010034j:image

 

当時の犀ヶ崖は、深さ約40m、幅約50m、長さ約2㎞の複雑な地形だったと言われ

ています。

現在は深さ約13m、幅約29~34m、長さ約116m。

当時に比べれば、大したことないように感じますが、

実際に見ると結構な迫力でした。

覗き込んで、思わず

怖っ!!!

 

闇夜の中で落ちたら、這い上がるのは無理だろうと思われました。

時は12月22日。

寒さもあってか100名以上が命を落としたと言われています。

戦い以降に、人や馬のうめき声が聞こえたとか、怪我人が続出したとか、

悪いことが続いたそうです。

 

というわけで、その崖の写真は撮りませんでした。

崖の写真を期待された方、ごめんなさい。

写ってたら、怖いんだもん。

 

最初、三方ヶ原の戦いの地に行きたかったのですが、今は碑が建っているだけだそう。

しかも、訪れた浜松城からは遠かったので、こちらの見学にしました。

思った以上に興味深く見学できました。

 

犀ヶ崖の奇襲、来年の大河で出てくるかな~。