犀ヶ崖は、浜松城の北側およそ1キロメートルにある断崖。三方ヶ原の戦いの時に、劣勢だった徳川軍が、反撃に転じるために武田軍を奇襲した場所です。
まずは、資料館で予習をしましょう。
大きな資料館ではないですが、「ほおほお。」と思う展示物がいっぱいございます。
「三方ヶ原合戦」、「遠州大念仏」についてのビデオ、ジオラマや展示物が用意されています。
優しいガイドさんが説明してくれますよ。
「遠州大念仏」に使われる太鼓なども展示されていました。
犀ヶ崖の戦死者の「たたり」とおそれられた出来事が起き、
七日七夜、鉦(しょう)と太鼓を鳴らして念仏を唱えたところ、
「たたり」は静まったそうです。
この念仏が「遠州大念仏」の始まりと言われています。
さあ、犀ヶ崖を見にまいりましょうか。
あら、ねずみ小僧さんの供養塔があるではありませんか。
ねずみ小僧さんて、架空の人物だと思ってました。
調べてみたら、治郎吉さんは寛政9年(1797年)~天保3年(1832)年までの間、実在なさっ
てました。
東京墨田区の「回向院」というお寺にお墓があるそうです。
勝負運・金運アップのパワースポットですって。。
本職は鳶職だったとか。
な~るほど!!!
字が薄くなって読みづらくなっています。
誰? 何?
ちゃんと説明がありました。
本多忠真(ほんだ ただざね)は、戦国時代の三河の武将。(愛知県だ~)
徳川四天王と言われた本多忠勝の叔父さんです。
三方ヶ原の戦いで大敗した徳川軍の撤退に際し、殿(しんがり)隊を買って出て、
この地で討ち死にしています。
家康公のお手植えの楠がありました。
幹は力強く、どっしりと。
天に向かってまっすぐ伸び、堂々と。
立派なクスノキでございました。
町の中の道路沿いにありました。
知らずに来たら、気がつかないかもしれません。
当時の犀ヶ崖は、深さ約40m、幅約50m、長さ約2㎞の複雑な地形だったと言われ
ています。
現在は深さ約13m、幅約29~34m、長さ約116m。
当時に比べれば、大したことないように感じますが、
実際に見ると結構な迫力でした。
覗き込んで、思わず
怖っ!!!
闇夜の中で落ちたら、這い上がるのは無理だろうと思われました。
時は12月22日。
寒さもあってか100名以上が命を落としたと言われています。
戦い以降に、人や馬のうめき声が聞こえたとか、怪我人が続出したとか、
悪いことが続いたそうです。
というわけで、その崖の写真は撮りませんでした。
崖の写真を期待された方、ごめんなさい。
写ってたら、怖いんだもん。
最初、三方ヶ原の戦いの地に行きたかったのですが、今は碑が建っているだけだそう。
しかも、訪れた浜松城からは遠かったので、こちらの見学にしました。
思った以上に興味深く見学できました。
犀ヶ崖の奇襲、来年の大河で出てくるかな~。