大分県竹田市に残る「難攻不落の堅城」といわれる『岡城跡』
夭折した作曲家滝廉太郎を想い、断崖絶壁や石垣群が切なく見えました。
「荒城の月」のモデルの城だと知ってから、いつかは行きたいと思っていた岡城。
駐車場からのこの道を歩いている間までは、念願かないやっと岡城に来れたというワクワク感だけでした。
山の中の普通の道路を約5分ほど歩きます。
岡城跡の入り口が見えてきました。
岡城は1185年、緒方三郎惟栄(おがた さぶろう これよし)が源義経を迎えるため築城したと伝えられています。
少しずつ城跡らしい景色になっていきます。
石と木造の階段は 城跡の雰囲気を壊す感じはあるものの、周りは総石垣。
「難攻不落の堅城」の姿を現し始めています。
さらに歩いていくと・・・。
現れた大手門跡に、「荒城の月」のイメージが広がりました。
急に視界が開け、こんなに広いんだと思ったこの辺りは、まだほんの少し足を踏み入れた地点でした。
振り返って見ると、 広大な敷地に広がる岡城のスケールの大きさが分かります。
石垣好きな人にはたまりません。
この日は晴れたり曇ったり。
霞がかかったようで、荒れた城跡をよりもの哀しい姿にしていました。
岡城は、奥豊後の山深く、稲葉川と白滝川に囲まれた地に建っています。
周囲を囲う断崖絶壁と、その絶壁上に累々と築かれている石垣群。
どれだけ大きくて立派な城だったんでしょう。
壮大な景色にただただ息をのむばかりです。
360度見渡す限りあちこちに石垣が見られ、圧倒されました。
どちらを見ても 想像をはるかに越えた景色が広がり、岡城のすごさが伝わってきます。
志賀氏や中川氏によって約690年続いた岡城は、廃城令により建造物は全て破却され
てしまいました。
これだけの大城郭が、今は石垣しか残ってないことが残念でなりません。
その高石垣の壮大さと美しさは見事。
岡城の悠久の歴史に想いを馳せ、その景色をごらんください。(順不同)
訪れたのは、紅葉が終わりかけの12月初旬。
人の姿はほとんどなく、城跡の寂しさを際立たせていました。
本丸跡地の近くには、岡城天満神社がありました。
<滝廉太郎>
明治時代に活躍した、日本を代表する音楽家・作曲家。
・15歳で東京音楽学校(現:東京藝術大学)に入学し、作曲やピアノを学ぶ。
・1901年4月にドイツに留学するも、同年11月に肺結核になる。
・1902年7月に帰国、闘病生活を送るも、翌年に23歳で死去。
「箱根八里」「花」「鳩ぽっぽ」「雪やこんこん」「お正月」などの有名な童謡も廉太郎の代表作。
滝廉太郎が若くして亡くなったのは知っていましたが、23歳だったとは・・・。
廉太郎は、少年時代に遊び場にしていた岡城をモチーフに、名曲「荒城の月」を作曲したと伝えられています。
まだまだこれから音楽を学ぼうと、ドイツに渡って半年後に結核になり帰国。
亡くなるまでどんな思いで過ごしたのでしょう。
廉太郎の失意を思うと、頭の中で「荒城の月」のメロディーが哀しく流れます。
道路の脇にぽつんと置かれたグランドピアノ。
城跡での切なさ哀しさにとどめをさされました。
改めて、夭折した廉太郎のくやしく悲しい想いを見たような気がして、行く前とは大きく違った気持ちで岡城を後にしました。
城巡りを始めて93城目。
それぞれの城に、それぞれの歴史があります。
城ができた過程やら悲恋やらを知り、今の時代に生きている幸せをかみしめてきました。
岡城は、廉太郎がこの荒れた城跡で遊び、美しく夜空を照らす月を眺めながら「荒城の月」を作曲したのかと思うと、歴史と廉太郎の想いとが重なり、切なくて哀しい城として心に残りそうです。
時代を越えて残る名曲と共にずっと忘れないだろうと思います。
城巡りをしなかったら、滝廉太郎のこともこうして想うこともなかった。
実際にこの地を訪れ、心に響くこともなかった。。
旅は、いろんな角度から知識やその地に生きた人の人生を教えてくれます。
2018年に岡城は城跡部門第1位に選ばれています。
心から納得!!!
2020年、私の中では1位となりました。
最後まで読んでくださいましてありがとうございました。