戦国日本の歴史を変えた国友(くにとも)の火縄銃。
「麒麟がくる」で紹介された町です。
国友鉄砲ミュージアムは、滋賀県長浜市南部、姉川沿いの集落、国友町にあります。
日本の歴史を変えたとされる火縄銃の里は、今は閑静な住宅街。
そんな中に国友鉄砲ミュージアムは建っていました。
この看板が目に入り、ミュージアムみっけ!(マックのCMふうで)
かっこいい看板♪。
建物は それほど大きくはありません。
玄関を入ると、ネジの開発に至るまでの話が紹介されていました。
まず、このシアタールームで国友鉄砲の歴史や火縄銃の仕組み、国友町についての映像を見ます。
とても分かりやすくておもしろうございました。
多くの数の火縄銃展示に驚き(@_@;)
城の中で見かけるのは、せいぜい数挺。
こんな数の銃を見たことはありません。
まあ、鉄砲ミュージアムじゃけんね。
この大展示室には、貴重な火縄銃50挺あまりが展示されています。
火縄銃製作の仕組み、製作に使われた道具なども展示されています。
「麒麟がくる」で紹介されて以来、念願の地となっていた国友の町。
天文12年(1543)年、種子島の門倉岬に漂着したポルトガル人から鉄砲が伝えられ、足利将軍の命により翌年から国友で作り始められたそうです。
館内を見学していると、 10年ほど前に訪れた門倉岬の懐かしい思い出がよみがえり、感激の時間を味わうことができました。
旅は繋がっているんだね。
いろんな種類があるんですね。
戦の時の「相手を倒すための武器」 と見ると複雑な思いもありますが
精巧で美しさすら感じる芸術品のようでもありました。
銃のことだけでなく、滋賀県に関わりのある武将、明智光秀のことも紹介されています。
側溝のふたの絵柄が鉄砲だーーー。
当然、ここでしか見られない側溝のふたに、ちょっと興奮してしまいました。
マンホールはあちこちにいろいろなデザインのものがありますが、その地限定のふたは、初めてお目にかかりました。
最盛期には70件の鍛冶屋と500人を越す職人がいたそうです。
この辺りは、散策もおもしろそうです。
大きな鍛冶屋の家々には、こんな碑がありました。
国友の町が、鉄砲で栄えていたのが分かります。
明智光秀様500挺、織田信長様1000挺、という文が来ていたのでしょうか。
皆さんは「麒麟がくる」は、観ていらっしゃいましたか。
私は、初めて大河ドラマにハマりました。
歴史に全く興味がなかったのですが、何気なく始めた城巡りをきっかけに日本の歴史に興味を持ちました。
城と言えばやっぱり戦国時代。
この壮絶な時代を経て今の日本があるんだなあと、遠く400年以上前の時代に想いを馳せながら観ていました。
今回の「麒麟がくる」での内容が全て真実かどうかはわかっていませんが、
観ていてずっと悲しく切なかった。
今、自分の意志で生きる道を選ぶことができることを心から幸せに思います。
明智光秀ゆかりの地が、日帰りや一泊で行ける範囲だったこともあって、
光秀追っかけの旅をした2020年。
ずっと心に残る一年になると思います。
2021年はどんな一年になるのでしょうか。
新しい目標を見つけて攻めに行く決心をしているところです。
まずは、早うコロナが立ち去ることを願うております。
最後まで読んでくださいましてありがとうございました。